「活動自粛」近藤真彦、“日本中の人事部長が事の成り行きを注視”指摘のワケ

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「活動自粛」近藤真彦、“日本中の人事部長が事の成り行きを注視”指摘のワケ

 マッチこと近藤真彦の不貞疑惑が11月12日発売の「週刊文春」で報じられるも、当初テレビやスポーツ紙はほぼスルー。ジャニーズ事務所への“忖度”が働いているのではないかとして、世間からは怒りの声が噴出していた。

 一方、週刊文春発売日と同日に、12月2日放送の「2020FNS歌謡祭 第一夜」(フジテレビ系)に近藤が出演することも発表され、こちらについては、〈マッチじゃなくて若いグループを出すべき!〉とジャニーズファンの一部からは怒りの声も出ていたという。

「そんな中、11月16日深夜に、近藤が無期限の芸能活動自粛処分を受けたことがジャニーズ事務所の公式サイトで発表されたんです。複数の報道によれば、近藤は、不貞相手との交際が事実であることを認め、家庭を持つ社会人として自覚と責任に欠ける軽率な行動だったとして、家族と話し合い、謝罪し、理解してもらったうえで16日に芸能活動を自粛したい旨を事務所に申し出たのだそうです」(スポーツ紙記者)

 そんな近藤を巡り、この間、「日本中の企業の人事部長が事の成り行きを見守っていたのではないでしょうか」と、さる週刊誌記者がこう指摘する。

「近藤は事務所内での序列はトップ。しかし1964年生まれで56歳の彼がジャニーズの屋台骨を支える超人気アイドルだったのは、1980年代の話。オリコン1位を獲得した最後のシングル『泣いてみりゃいいじゃん』は1987年リリースで、33歳以下の人たちにとっては《生まれる前の話》。そんな彼は、人事部の視点で見れば、“かつて会社を支えた大功労者”を、令和の現代にどう扱えばいのかという、多くの会社が抱えている難題に重ねて見られていたはずです」

 近藤と同世代の社会人たちは、就職後まもなく空前のバブル景気が崩壊。日本中が「失われた20年」に苦しむ中、彼らが必死に働いたことで倒産を免れた企業は少なくないだろう。

「近藤が1980年代、ジャニーズ事務所にとって目覚ましい働きを見せたのは芸能界ではよく知られていますが、その功績があるからこそ自動車レースに熱を上げても事務所側は温かな目で見守っていたのでしょう。ところが週刊文春は二回り以上も若い不貞相手を故・ジャニー喜多川氏の誕生日パーティーにも連れてきたとまで報じています。

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