「やって良いことと、悪いことくらい分かるだろう!」
そう咎める人がよくいますが、無邪気な子供ならばいざ知らず、いい歳をした大人であれば、自分の行為が悪いことくらい「百も承知」でやっていることがほとんどです。
しかし、悪いことをすると言うのは多少なりとも良心が痛みますから、ひとたびやる以上は相応の覚悟を決めてかかるもの。
そんな心情は昔の人も同じだったようで、今回は鎌倉時代の随筆『徒然草(つれづれぐさ)』から、とある悪党たちのエピソードを紹介したいと思います。
悪党の美学?「僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」人の田を論ずる者、訴へに負けて、ねたさに、「その田を刈りて取れ」とて、人を遣しけるに、先づ、道すがらの田をさえ刈りもて行くを、「これは論じ給ふ所にあらず。いかにかくは」と言ひければ、刈る者ども、「その所とても刈るべき理なけれども、僻事せんとて罷る者なれば、いづくをか刈らざらん」とぞ言ひける。
理、いとをかしかりけり。
※『徒然草』第209段より。
【意訳】
土地(田の所有権)争いの訴訟で負けた男が、その腹いせに「ただ渡してやるのも癪だから、稲を刈り取ってしまえ」と手下に命じた。
手下たちは鎌を手に手に現地へ向かうが、その道中に実っていた稲を手当たりしだい刈り取り始めた。「おい、ここは訴訟とは無関係だぞ。