江戸時代、幕末志士たちの飛び越えた「脱藩」というハードルが思ったより低かった理由

| Japaaan
江戸時代、幕末志士たちの飛び越えた「脱藩」というハードルが思ったより低かった理由

「日本を今一度、洗濯いたし申し候」-坂本龍馬(さかもと りょうま)

時は幕末、硬直した武家社会から脱却し、日本という近代国家を生みだそうと多くの志士たちが脱藩(だっぱん)。故郷を飛び出して日本全国を駆け巡り、そして世界へと雄飛して行きました。

日本を洗濯するべく脱藩した坂本龍馬。Wikipediaより。

有名なところでは冒頭の坂本龍馬や吉田松陰(よしだ しょういん)、高杉晋作(たかすぎ しんさく)など、旧来のしがらみを乗り越えた意志と行動力は、少なからず明治維新の原動力となったようです。

それにしても、脱藩と言うと「志(あるいは諸事情)のためにすべてを捨て、時に命を失うリスクをも冒す」大それた行為であるようなイメージですが、実のところ必ずしもそうではありませんでした。

現代よりも忠節や義理にやかましく、その関係から脱するハードルは高かったように思われがちですが、どういう事情があったのでしょうか。

(※)ちなみに、大名家を「藩」と呼ぶ概念が一般的になったのは明治時代以降と言われ、江戸時代以前に生きていた彼ら当事者が「脱藩」という言葉を使ってはいませんでしたが、ここでは歴史用語として便宜上用いています。

わざわざ脱藩しなくても……

結論から言えば、武士が主君との雇用関係を解消し、浪人となることは基本的に自由でした。

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