江戸時代、幕末志士たちの飛び越えた「脱藩」というハードルが思ったより低かった理由 (2/3ページ)

Japaaan

自由には「野垂れ死ぬ」自由も含まれる(イメージ)。

もちろん、いきなりいなくなられては流石に困るので、現代の会社員と同じく、所定の手続きを経てから辞めるのですが、いつ戦闘の人手が必要になるか分からない戦国乱世ならいざ知らず、太平の世が永く続いた江戸時代中期以降になると、よほど優秀な人材でなければ、主君としても「むしろ、いなくなってくれた方が(養う人数=経済的負担が減って)ありがたい」という台所事情があったのです。

そんな状況ですから、わざわざリスクを冒して脱藩などしなくても、然るべき筋を通してきちんと退職の意思を表明すれば、多くの場合が円満退社、もとい浪人となることが出来ました。

(逆に、多くの武士たちは「いつ自分がリストラの対象にされはしないか」など戦々恐々だったとも)

中にはよほど優秀だったり、影響力が大きすぎて連鎖退職のリスクが懸念されたり、あるいは重要機密を知っていたりする者などについては、上から引き止められたでしょうが、それでも自由の身になりたいものは、初めて脱藩という強硬手段をとることになります。

しかし、脱藩者への対応(処罰)は藩によって温度差があり、土佐藩のように厳しいところもあれば(※坂本龍馬はほとぼりが冷めるまで、しばらく潜伏を余儀なくされた)、長州藩のようにゆるいところでは高杉晋作のように、5回も6回も脱藩を繰り返す者がいたようです。

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