幕末期の日本には異国船が多く来航した。多くは軍艦であり、国内の港には諸外国の水兵の姿が溢れた。そんな中、諸藩の志士や外国船乗組員との間では死傷者を出す事件も発生した。
今回は、外国人殺傷事件の中でも多くの犠牲者を出した「堺事件」をご紹介する。
1868年。和泉国(現在の大阪府)の堺港には、フランス海軍の木造艦「デュプレクス」が港内の測量を目的として停泊していた。
停泊中、デュプレクス内から士官や水兵約30名が境に上陸。市中を騒ぎながら闊歩した。近隣住民はフランス兵を恐れ藩に通報。境港の警備を担当していた土佐藩の小隊が現場に急行した。
藩士達はフランス兵に帰船を要求したが、彼らは応じなかった。捕縛を決行するも抵抗された事で発泡。一帯は銃撃戦となった。
土佐藩小隊はボートで逃げながら抵抗するフランス兵を一斉射撃。射殺または怪我を負わせた。結果的にフランス水兵は11名が死亡。すべてが20代の若者だった。