処刑メンバーを「くじ引き」で決定。幕末に起きた凄惨な切腹劇「堺事件」【前編】 (2/2ページ)
土佐藩主・山内容堂(やまうちようどう)は、事件の知らせを受けると、関係があったイギリス公使館職員を通じて謝罪の意を表明。処罰を約束した。
日本側の対応を受け、駐日フランス公使であるレオン・ロッシュは日本に対し抗議書を提出。事件の当事者である土佐藩隊員の処刑及び、陳謝・賠償を要求した。
明治政府の立場と主張当時の明治政府は成立したばかりの新政府であり、国内は戊辰戦争が継続中であった。政府としては内政が整わない折に外国との紛争を抱えるわけにはいかない事情があり、フランスとの関係性を重んじた。
ただし、フランス側の主張を全面的に受け入れる形の決着であっては、国内に残る旧幕府軍や攘夷論者の反政府運動が活発化する事を恐れた三条実美や岩倉具視は、処罰の軽減を要求。
結果的に、処罰の対象は土佐藩隊員全員から、隊長以下20名の隊士となった。
【後編】へ続く
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