江戸時代後期、欧米列強の動きはアジア全体に及んできました。3代将軍徳川家光の代から始まった鎖国政策をとる日本も例外ではありませんでした。
特にオホーツク海を隔てたロシアは執拗に開国と通商を日本に求めたものの、拒絶する江戸幕府と険悪な状況に陥り、樺太などに武力をもって攻撃を仕掛けてきたのです。
こうした動きに対処するため、幕府は会津藩に北方警護を命じます。会津藩の北方警護とその後について紹介しましょう。
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幕末秘話。日本とロシアが一触即発の危機に!樺太などの北方を守った会津藩 【前編】 派兵に向け、燃え上がる会津士魂