テリー 日本プロレスに入門したのが16歳ですよね。これまで50年やってきて、いちばんのターニングポイントってどこですか。
藤波 それは3つぐらいありますね。最初は僕が入門した年の暮れに日本プロレスが馬場さんと猪木さんに分かれたこと。僕は、当時は猪木さんのカバン持ちをしてましたから、自動的に猪木さんについていくことになったんですけど。あのまま馬場さんのところに残っていたら、どうだったかなっていう。
テリー 今とはまた全然違うスタイルのプロレスをやってますよね。
藤波 でしょうね。名前は全日本プロレスに変わりましたけど、残っていれば日本プロレスの体制をそのまま引き継いで、試合はすぐできましたから。片や猪木さんのほうは、まず道場を作って、興行ができる体制を一から作らなきゃいけなかったので。
テリー そうか!
藤波 当時、猪木さんの自宅が(世田谷区の)等々力のほうにあったんですけど、そこを我々の寮に開放してくれて。日本プロレスを離れて、猪木さんが団体を興したその夜に、すごく広い庭をブルドーザーで更地にして、次の日から突貫工事で道場作りでした。だから、僕は最初の練習が道場作りなんですよ。石を拾って、基礎工事して、そこからのスタートですね。
テリー すごい時代ですね。
藤波 プロレスよりも組織や団体の作り方を先に覚えた気がしますよね。チケットを売ったりとか。
テリー テレビ朝日と契約するとか。
藤波 当時のNETですね。それから1、2年後に坂口征二さんと猪木さんが合流するんですけど、それが、テレビ朝日と契約するひとつのきっかけだったですね。