藤波辰爾 新日の立ち上げで「プロレスよりも組織や団体の作り方を先に覚えた気がします」 (2/2ページ)

アサ芸プラス

テリー 2つ目のターニングポイントは?

藤波 20歳ぐらいの時に海外に出された時です。当時はまだ新日本プロレスには若手が海外に武者修行に行く慣習はなかったんですけど、坂口さんと合流して、若手が一気に増えちゃったんですね。その時に営業部長に新間寿(しんまひさし)という名プロデューサーがいたんですけど、その方から「若手でトーナメントして、勝ち抜いた選手を海外に行かせる」という案が出たんですよ。そのトーナメントで勝ちまして、海外修行に行きました。

テリー 海外修行に出るってスター選手への登竜門ですよね

藤波 でも、当時の新日本プロレスは選手を海外遠征に出せるほど裕福ではなかったので、とりあえず片道切符だと。連絡するまで海外で修行を積んできなさいという感じでヨーロッパに出されたんですね。それで3年8カ月、1人でずっと世界を回ってました。

テリー すごい経験ですね。向こうと日本ではプロレスのスタイルが全然違うと思うんですが、当時、日本人レスラーはどんなふうに見られてたんですか。

藤波 だいたい1つのキャラクターを付けられちゃうんですね。馬場さんも猪木さんも吉村(道明)さんも下駄を履いたりとか。

テリー グレート東郷さんみたいな感じだ。

藤波 そうそう。東洋人の売り方のひとつにそういう形があったんですよね。ただ僕は海外遠征の間、カール・ゴッチというプロレスの神様の家に居候させてもらってたんですよ。その方に「アメリカで試合をするには変なパフォーマンスはするな」「とにかく俺が教えたレスリングをやればいい」と四六時中言われたので、そういうことはほとんどなくて。だから僕が普通のトランクスとシューズで出場した、最初の日本人だったと思いますね。

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