前編では真田十勇士について、十勇士の5人猿飛佐助、三好清海入道、三好伊佐入道、穴山小助、由利鎌之介を紹介しました。
後編では、残りの5人霧隠才蔵、根津甚八、筧十蔵、海野六郎、望月六郎の人物像やモデルを紹介します。
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真田十勇士の中でも名前がよく知られた霧隠才蔵。猿飛佐助のライバル的な存在で、忍術勝負を繰り広げた後、真田幸村の家臣となります。もともとは浅井長政の侍大将の遺児で、浅井滅亡後に伊賀で忍術を学んでいます。
伊賀忍者の頭領百地三太夫(ももちさんだゆう)に忍術の極意を授けられました。盗賊の石川五右衛門は兄弟弟子です。霧隠才蔵は名前の通り、目くらましの術が得意で隠密活動に秀でた忍者でした。
無口でクールなイメージで描かれており、人気も高く主役となることも。大坂夏の陣では、徳川家康の首をとるのにあと一歩で失敗。しかしその後、豊臣秀頼の脱出を成功させました。
モデルは出浦昌相(いでうらもりきよ:真田家の忍者の棟梁)や霧隠鹿右衛門(きりがくれしかえもん:真田幸村直属忍者と言われています)です。しかし霧隠鹿右衛門は「真田三代記」にしか登場しないため、実在の信ぴょう性が疑問視されています。
根津甚八(ねずじんぱち)根津甚八と聞くと、俳優さんの名前を思い浮かべる方も多いでしょう。もちろん名前の由来は十勇士の根津甚八です。そのため、名前は多くの方に知られています。
根津甚八は、海賊の頭領でした。