戦国武将の「老後と終活」を暴く〈老いの哲学2〉伊達政宗は「ゴマすり大名」と陰口を叩かれていた

| Asagei Biz
戦国武将の「老後と終活」を暴く〈老いの哲学2〉伊達政宗は「ゴマすり大名」と陰口を叩かれていた

 引き立ててもらえるように、愛され爺さんになるのが、老後ハッピーの絶対条件である。

 関ヶ原で負け、2代将軍秀忠の引き上げで、最後は柳川の領地を取り戻し、敗者復活をしたのが立花宗茂。河合敦氏が続ける。

徳川家光は宗茂が大好きで、6〜7年は家光に連れ回された晩年でした。島原の乱のあと、江戸に戻った宗茂を家光は待ちかねたように訪ね、池に舟を浮かべて釣りをしたりして夜まで過ごします。家光は自分が差していた脇差を宗茂に下賜し、よっぽど楽しかったのか、翌年もまた、宗茂の屋敷を訪ねています。高齢の宗茂を気遣い、自分の頭巾を宗茂に渡して、『誰の前でもこの頭巾を被っていていいからな』ということさえ言っている。じじい大好きの〝じじい転がし〟でしょう」

 家光は、歴戦を戦い抜いた大物武将が話す武辺咄(ぶへんはなし)が愉しみだったとみえ、東北の雄・伊達政宗を「伊達の親父殿」と呼んで慕っていたという。家光が大名たちを集めて「私の代わりに将軍職を望む者があれば申し出ろ」と言うと、政宗がすかさず「もしそのような者が居れば、私がすぐに兵を率いて征伐いたします」と応じて、ゴマすり大名と陰口を叩かれていた。家光の時代には、もう謀反の疑いも晴れ、70歳で病を得て没している。

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