3度目の介錯でようやく絶命。新撰組の勘定方だった「河合耆三郎」の切腹劇【後編】

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3度目の介錯でようやく絶命。新撰組の勘定方だった「河合耆三郎」の切腹劇【後編】

新選組隊士・勘定方として尽力した「河合耆三郎(かわいきさぶろう)」は、隊律に違反したとして切腹した。

今回は【前編】に引き続き、河合耆三郎の切腹劇の顛末をご紹介する。

前編の記事はこちら

3度目の介錯でようやく絶命。新撰組の勘定方だった「河合耆三郎」の切腹劇【前編】

粛清の理由

新撰組隊士として順調に活動を続けているように見えた河合だったが、1866年3月、隊から切腹を命じられ死亡している。表向きの理由としては、隊の活動費用が足りず、そのことで勘定方である河合が責任を取らされたことによる粛清であった。

新選組は厳格な隊律で知られ、粛清された隊士は数えきれないが、河合の切腹に関しては根拠が判然とせず様々な憶測が語られている。

切腹理由の諸説

・近藤勇の妾を身請けする費用捻出に失敗したとする説
・近藤及び隊士の浪費癖を咎めたことで粛清されたとする説
・隊費流用説
・隊費の私的使い込み説
・反乱工作の露見説

河合の粛清に至った経緯は不明であり、上述にような説が有力視されているものの確実な背景は判明していない。

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