3度目の介錯でようやく絶命。新撰組の勘定方だった「河合耆三郎」の切腹劇【後編】 (2/3ページ)

Japaaan

壬生寺にある壬生塚(新選組隊士の墓が存在する)

切腹回避への工作

隊から正式に切腹を命じられた河合であったが、切腹を免れるために不足分の資金を用意しようと画策する。

実家が裕福であった河合は資金援助を求めるも、実家側が河合の要求に気づくのが遅れた事が原因で資金の到着が遅延。結果的に河合は粛清されてしまう。資金の借り入れが間に合っていれば切腹を免れた可能性があり、本人にとっては不運な結果となった。

波乱の切腹劇

介錯役は隊士である沼尻小文吾(ぬまじりこぶんご)が務めた。剣術の心得があった沼尻だったが、二度にわたり河合の首を跳ね損ない、肩や頭部に太刀が及んだという。

三度目でなんとか河合の首を落とした沼尻だったが、介錯の失敗を河合の縁者に恨まれ襲われた。襲撃による後遺症は後世まで残ったという。

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