路(みち)を賄(まかな)うと書いて賄賂(ワイロ)……そう、よくニュースなどで話題になる汚職事件とかのアレです。
金品などを提供することによってあれこれ便宜を計ってもらう……文字通り「路を賄う」この行為、現代であれば恥ずべきものとして断罪され、犯人の社会的地位が損なわれてしまいます。
「お主もワルよのぅ」「いえいえ、お代官様ほどでは……」よくある?やりとり
しかし、時代が変われば価値観も違うもので、中世日本において賄賂は恥ずべき行為どころか、むしろステイタスとなっていたようです。
そこで今回は室町時代、奥州の雄として名を馳せた伊達成宗(だて しげむね)の豪快な賄賂エピソードを紹介したいと思います。
バラまいた賄賂の数々時は文明15年(1483年)、上洛した伊達成宗は時の将軍・足利義政(あしかが よしまさ。第8代)はじめ幕府の主要メンバーに賄賂をバラまきました。
で、その品目は以下の通り。