おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【後編】

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おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【後編】

前編では、父親の松倉重政の暗君への変貌を解説しました。後編では父を上回る程の暗君松倉勝家(まつくらかついえ)の常軌を逸したおこないと末路について紹介します。

前回の記事はこちらから

おろかで無能な藩主。非人道的な政策で島原の乱を引き起こした暗君「松倉親子」の愚行【前編】

島原陣図屏風 戦闘図(秋月郷土館蔵)

松倉重政の急死

松倉重政はルソンへの海外出兵の船が出港した5日後に、小浜温泉(長崎県雲仙小浜にある温泉)で急死します。享年57歳。この死には、多くの暗殺説があります。誰に暗殺されてもおかしくないほどの所業が、暗殺説の一番の理由です。

しかし、重政の後を継いだ松倉勝家は父を上回るほどの暗君でした。

2代目暗君松倉勝家の行動

2代目藩主を継いだ松倉勝家は暗君と言われていますが、実際領民に対してどのような搾取や弾圧、刑罰を行ったのでしょうか?松倉勝家の行動についてみてみます。

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