幕末志士を語る上で、欠かすことのできないキャラとして人気を集めている坂本龍馬(さかもと りょうま)。
その龍馬を語る上で、幼少期から巣立ち(脱藩)を見守り、天下へ送り出して行った姉・坂本乙女(さかもと おとめ)の存在もまた欠くべからざるものです。
今回は龍馬を維新の英雄に育て上げた乙女のエピソードを紹介したいと思います。
文武両道の女傑、龍馬の母代わりに坂本乙女は江戸時代末期の天保3年(1832年)、土佐藩郷士の坂本直足(なおたり。八平)と坂本幸(こう)の三女として誕生しました。
本名は留(とめ)、これは当時よくあった「もう女児は留め=止めにせよ=要らない」という意味ですが、愛称の「お留」を美しく乙女と当て字。また、乙女で「とめ」と読ませることもあったそうです。
5人兄弟姉妹の4番目(男、女、女、乙女、龍馬)で上3人の兄姉とは一回りほども歳が離れており、そのためか年齢の近い龍馬(天保6・1836年生まれ)とは仲良しでした。
やがて弘化3年(1846年)に母が亡くなると龍馬の母親代わりを自任。