坂本龍馬は私が育てた!龍馬の姉・坂本乙女の女傑ぶりと弟への愛情エピソード (2/4ページ)
「立て、それでも男か!」
「乙女姉ちゃ、もう堪忍じゃき……」
乙女は父親から教わった諸般の武芸(剣術、馬術、弓術、水練など)や書道、和歌などを叩きこみ、当時は甘え癖に由来すると考えられた寝小便(よばあたれ)も直しました。
「まだまだ!」
坂本乙女。時にはピストルもぶっ放していたとか。Wikipediaより
そんな乙女は身の丈五尺八寸(約175センチ)、目方は三十貫(約112キロ)という大柄で、下手な男性よりもよほどガタイがよかったそうです。
「あげなジャジャ馬に、嫁の貰い手があるじゃろうか……」
家族が心配するほどの女傑だった乙女に縁談が来たのは安政3年(1856年)、土佐藩典医・岡上樹庵(おかのうえ じゅあん。新甫)の後妻に迎えられたのでした。
……が。どうも相性が悪かったのか、あまりの女傑ぶりがお気に召さなかったのか、樹庵の浮気や家庭内暴力などが原因で慶応3年(1867年)に離婚して実家へ帰ります。
この年、龍馬が暗殺されてその妻であるお龍(りょう)が身を寄せて来たため、これを親身に迎えたと言いますが、程なくして去ったため、実は仲が悪かったのでは?など諸説あるようです。