藤田紀子、若引退リークは「あの男のせい」!/「アサヒ芸能65年」に刻まれた「美女の激言」(3)

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藤田紀子、若引退リークは「あの男のせい」!/「アサヒ芸能65年」に刻まれた「美女の激言」(3)

 誰もが知る有名美女の、誰も知らない「本気の叫び」が聞きたい─。創刊以来変わらぬ「週刊アサヒ芸能」の編集方針の骨子である。65年の歴史には目もくらむ美女たちが現れ、読者を鼓舞した。その姿形だけでなく、思わず漏れる本音にも味わいがあった。そんな名言の数々を大公開! 女たちの感情が爆発する時、それは美しい表現になったりもする。噴出したマグマを拾い集めてみよう。

 若貴ブームを女将として支えた藤田紀子は、97年に大関・若乃花(当時)の引退報道にブチギレた。

「あの人が流したデマだと思います。あの人? 花田勝治さんですよ」

 先代の二子山親方であり、夫(当時)の実兄である。

「あの人は、いまだに自分に力があるんだ、ということを誇示したくて、こんな話を記者の方にリークしたんじゃないでしょうか。それに、あの人とほとんどつきあいがないんですよ。もともと、部屋の合併(旧二子山部屋と旧藤島部屋)には、私は反対でした」

 その後、若は引退することなく横綱に昇進する。

 大場久美子(61)は79年の「オリンパスOM10」のCMでひと悶着。

「演出家の人と意見がまったく合わなかった。私、半日間のストライキをして現場に行かなかったくらいですから。これに演出家さんが『じゃあ、何もしなくていいからそこに立っていなさい』と言ったんですね。だから私、ニコリともしないで、むしろにらんでいるような目線で」

 そんな裏話があって傑作CMが生まれた。

 日劇のトップダンサーだった鹿島とも子は、事故で生死の淵をさまよう。82年1月24日、石打スキー場のスノーモービル大会で悲劇は起きた。

「平坦なコースを回ったあと、下のほうに連れていかれました。でもそこは、左曲がりのヘアピンコースですごく危険なところ。15メートルも滑り落ちてしまい、腰から下の感覚がなくなって、脚が吹っ飛んだのかと」

 主催者側に7600万円の損害賠償を求めたが、300万円で和解。その後、鹿島は、オウム真理教の洗脳騒動でも話題になった。

 歌手の伊藤咲子は同期の城みちると交際したことが話題に。それを同い年の桜田淳子に批判される。

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