「娘を解放しろ。さもなくば毎年追手を放ち、日本中からお前らを殲滅してやるからな。」
この脅迫文書は、京都伏見にある伏見稲荷大社に届けられたものを一部抜粋したものです。
しかもこの文書、脅迫者本人が手書きで記して送りつけています。
このような恐ろしい文書を神社に自ら持参して恫喝するとは、一体どんな人物なのでしょう。脅迫者の正体。
それは誰あろう、豊臣秀吉、その人でした。
天下人まであと一歩のところまで上り詰めた秀吉があわや脅迫事件の当事者になり下がろうとは。
一体何があったというのでしょうか。
全てを手に入れた秀吉が切望したもの農家に生まれ、ひたむきな努力と天賦のコミュ力を駆使し、天下取りに大手をかける直前まで手を伸ばした豊臣秀吉。
一見すると、全てを我が物にしたように見える秀吉ですが、どんなに望んでも手に入れられなかったものが一つだけあります。それが、子宝です。
ド派手すぎる女性関係と子宝に恵まれない不運秀吉といえば、女好きで女性関係にかなりだらしない人物でした。
最愛の妻と言われ、当時としては珍しい恋愛結婚を成就させた正室のねね(高台院・北政所)。
そんなねねが、秀吉のあまりの女癖の悪さに業を煮やし、織田信長に夫の浮気を嗜めて欲しいと訴えた逸話は有名です。