ディーン・フジオカ「僕は自分に満足できない」「キャリアは増えても反比例するように内面はどんどんシンプルになる」【人間力インタビュー】

| 日刊大衆
ディーン・フジオカ(撮影・弦巻勝)

 コロナ禍で海外との行き来が難しくなり、珍しく2年ほど日本で過ごしています。高校卒業と同時にアメリカへ行って以来、香港や台湾、ジャカルタなどで俳優や音楽制作を行ってきたので、こんなに長い期間、日本にいることがありませんでした。

 ですから、2011年から日本で活動をするようになったときも、最初はわけが分からなかった(笑)。

 もちろん、日本語は話せます。でも相手の話している意味や本意が分からなかったし、どうやったらコミュニケーションの扉が開くのかも分からなかった。

 そして、相手にも僕が伝えたいことが分かってもらえない。お互い日本語で話しているにもかかわらず、まるで言葉が通じない人同士の会話のようでした。

「どうしてこんなやり方をするんだろう?」と不思議に思うこともたくさんありました。たとえば、映画の舞台あいさつでよく耳にする「演じさせていただきました」という言葉。
どうして「演じました」ではいけないのか、僕は腑に落ちなかったんです。“主体性はどこに行ってしまったのだろう”と。

 でも今は、日本ならでは意思の示し方やコミュニケーション方法が理解できるようになりました。もう、現場で戸惑うことはありませんし、今では、日本は非常に住み心地の良い国だと思っています。清潔だし、ウォシュレットはあるし、コンビニでようかんが買えるし(笑)。ようかんは、僕にとってサプリメントとしても重要な食べ物なので、これがありがたいんですね。

 そんなふうに、日本人でありながら日本という国を客観的な視点で見ているうちに、日本人の定義とは何なんだろうと考えるようになりました。

 DNAは100%日本人でも、海外で生まれ育って日本語が話せない人もいるし、逆に0%だけど、日本語しか話せない人もいる。そんな現代においては、日本語という“OS”を使う人間が「日本語人」なんだという考え方に思い至ったんです。

■「日本語人」の特徴をどうあぶり出すのかと考えたとき、僕は「暴力」だと思った

 言語とは、それほど大きな影響を人に与えるもの。

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