昭和アイドル秘話…松田聖子・中森明菜「2大歌姫の明暗」恋愛に仕事、両者を分けたものはなんだったのか!?

| 日刊大衆
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 アイドルの黄金期といわれる1980年代。ツートップとして音楽シーンを牽引したのが、80年に『裸足の季節』でデビューした松田聖子(60)と、82年に『スローモーション』でデビューした中森明菜(56)だ。

「特に明菜は、今年がデビュー40周年。往年のアルバムが再販されたり、過去のライブがNHKの地上波やBS、WOWOWで立て続けに放送されたりと、盛り上がりを見せています」(音楽誌ライター)

 常に比較されることを宿命づけられてきた2人の歌姫。その40年間は、まさに芸能界の愛憎の縮図だろう。

 芸能評論家の三杉武氏は言う。

「王道アイドルとして頂点に立った聖子が“ぶりっ子”といわれたのに対し、こびない明菜は“ツッパリ明菜”といわれました。イメージは異なりますが、2人とも卓越した歌唱力の持ち主。ライバル視されることも多かったんですが、デビュー前の明菜が聖子に憧れていたのは有名な話。“ツッパリ明菜”はあくまでもイメージで、本人は歌うことが大好きな、素直で明るい子だったそうです」

 聖子は2曲目のシングル『青い珊瑚礁』が大ヒット。3曲目の『風は秋色』から、24曲連続でオリコン週間シングルチャート1位という偉業を達成。一方、明菜は2曲目のシングル『少女A』、続く『セカンド・ラブ』が大ヒット。85年には『ミ・アモーレ』、86年は『DESIRE -情熱-』で、女性歌手としては史上初(当時)の2年連続レコード大賞に輝いている。

 この時点で、歌手としての実績は明菜が先輩の聖子を上回っていた。

「そのため、いつからか、2人の間にギクシャクした雰囲気が生じていったんです」(ベテランの芸能記者)

 2人は恋愛に関しても対照的だった。

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