尺八を吹きながら修行の旅をする虚無僧で有名な禅宗一派の普化宗とは

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尺八を吹きながら修行の旅をする虚無僧で有名な禅宗一派の普化宗とは

世界的にも愛好家の多い楽器となっている「尺八」はもともとは禅宗の一派である普化(ふけ)宗の法器だった。

■楽器として知られている尺八の現在

尺八は平成6年(1994)に第1回国際尺八フェスティバルが行われ、その後4年に1度、オリンピックのように世界のあちこちで行われている。平成10年(1998)のアメリカ、ボルダーで行われた国際尺八フェスティバルは地域をあげての大イベントだったそうで、日本からは人間国宝も含め139名が参加し、日本人以外が200名以上も参加したそうである。本来ならば今年令和4年(2022)に中国で行われる予定だったが、やはりまだまだ難しいようで延期となった。

■普化宗や法器としての尺八、虚無僧の歴史

普化宗は中国の普化禅師が9世紀に始めた仏教の一派で、日本に入ってきたのは13世紀であるが、「普化宗」を名乗って一宗派として活動を始めるのは江戸時代に入ってからである。天蓋をかぶって尺八を吹きながら喜捨を請いながら旅をする虚無僧が有名である。

普化宗は禅宗なので、座る禅を「座禅」というように、吹く禅で「吹禅(すいぜん)」をすることによって経をあげることや瞑想と同じ意味をもった。なので、尺八は楽器ではなく仏教の道具、「法器」なのである。

虚無僧は幕府から、托鉢の際の服装や持ち物なども決められ、その時に天蓋をかぶることも規則となった。虚無僧は関所の通行も許されていたため、隠密を務めたともいわれている。

■普化宗の寺の昔と今

普化宗の寺は江戸後期には全国に70寺あったことがわかっているが、その時に既に廃寺になっている寺もある。普化尺八は日本各地の寺ごとに独自の曲が伝わっており、同名の曲でも違っていたりする。なので、現代では演奏する際は「○○寺伝」という注意書きをつけて演奏することが多い。

普化宗は幕府との結びつきが強かったために、明治政府によって1871年に解体され、普化宗から他の宗派になった寺や廃寺になった寺などいろいろある。虚無僧は僧侶としての資格を失った。しかし尺八が法器ではなくなったため、一般の人も尺八を演奏できるようになったためか、楽器は大変に流行した。

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