「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころに」を叶えた西行

| 心に残る家族葬
「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころに」を叶えた西行

「願わくは 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころに」ーー西行法師は生前このように詠んだ。この詠は、続古今和歌集巻17・雑歌上・1527に収録されている。西行法師は平安時代から鎌倉時代の初期に活躍した、武士であり、僧侶であり、歌人で、自分の死をこのように望んだのである。ひらひらと花びらが舞い散る満開の桜の下にいくと思い出す詠だ。

■「願わくは 花の下にて春死なむ その如月の 望月のころに」の解説

現代語訳をすると“願うことには、春の満開の桜の下で死にたい。2月15日の満月の頃に”という意味である。ふと見上げると薄紅色の花びらが目に染みる満開の桜。穏やかな春の風にのり舞い散る花に囲まれていると、死ぬのであればこの中で死にたいという気持ちはよくわかる気がする。

句の後半の“その如月の望月の頃”となっている。如月とは2月、望月とは満月の事である。暦は昔使われていた陰暦の2月15日を指しており、ちょうど今の暦では3月の後半だ。この日は”釈迦の入滅の日“である。素晴らしい花に囲まれて、釈迦の入滅した日の頃に、自分も死にたい。この死生観は出家人として自然な感情だと感じる。西行法師は、実際にこの歌のとおり2月15日を1日過ぎた2月16日に彼岸へと旅立ったのである。

■夢を叶えた西行法師

“念ずれば通ず”と言う言葉があるが、実にあっぱれである。釈迦の亡くなった2月15日は涅槃会と言って、日本の寺院では宗派を問わずに供養の法会が行われる。旧暦であると今の3月後半で西行法師の詠のとおりに桜の咲く頃であるが、現在の暦では冬の寒さが厳しい季節だ。西行法師は漂泊の歌人、旅に生きた者である。旅の中での感興を様々な詠にあらわしている。

■樹木葬・桜葬とは

桜葬とは、遺骨を直接土の中に埋葬する方法で、“樹木葬”の事である。主に、満開の桜に囲まれて眠りたい、豊かな自然に囲まれて眠りたい、墓の管理・供養の負担をかけたくない、夫婦一緒にまたは個別で埋葬を希望する者等に向けた葬儀だといわれている。死後も毎年咲く、満開の桜の下に囲まれて眠る事ができる。金銭面について述べると、集合墓タイプである場合が多く、専有面積が一般的な墓に比べて、小さいため、永代供養料が安いといわれている。

■重なる桜と人の一生

花が咲く事を命、散る事を死と捉えてきた日本人は、美しく咲き潔く散る桜に、惚れていたのであろう。私たちは、どの様に生き散っていくのか。誰もが自分なりに人生の旅を続けていくのであろう。

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