戦国時代の始まりは応仁の乱ではない!?「関東の三十年戦争」享徳の乱とは【前編】

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戦国時代の始まりは応仁の乱ではない!?「関東の三十年戦争」享徳の乱とは【前編】

「鎌倉殿の三十年戦争」

戦国時代は応仁の乱から始まった……というのが、日本史における一般的な、だけど漠然とした認識です。

しかし実際には、戦国の先駆けとなったとされる関東の三十年戦争と呼ばれる争乱がありました。それが享徳(きょうとく)の乱です。

この【前編】では、そのきっかけとなる出来事などを解説します。

享徳の乱のきっかけとなる出来事が起きたのは1454年12月で、なんと応仁の乱よりも10年以上前。しかもそこは京都ではなく関東だったというのがポイントです。

そもそもの原因は、室町幕府が鎌倉に設置した鎌倉府でした。

鎌倉府は、室町幕府の設立当時から存在していた幕府の出張機関で、関東10か国と奥羽を支配下に置くものでした。

鎌倉市浄妙寺・鎌倉公方邸旧跡(Wikipediaより)

その鎌倉府の長が鎌倉公方あるいは鎌倉殿です。公方というのは将軍の敬称なので、本来はおかしいのですが、つまり室町幕府の将軍に匹敵する程の要職だったということです。

鎌倉はこの時代でも関東の要所とみなされており、鎌倉公方はとても重要なポジションでした。

その初代は足利基氏

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