駿河侵攻の裏で起きていた家中騒動!今川家の今後を決める信玄と嫡男・義信の対立

| Japaaan
駿河侵攻の裏で起きていた家中騒動!今川家の今後を決める信玄と嫡男・義信の対立

今川家の弱体化により永禄11年(1568)より始まった駿河侵攻。

大河ドラマ「どうする家康」で阿部寛さんが演じるローマ人こと武田信玄の侵攻速度は凄まじく、駿府を数日で落とす破竹の勢いを見せました。しかし、この駿河侵攻ですが、実は武田家家中には反対する人物がいました

その人物は武田義信信玄の嫡男でした

今回は、駿河侵攻を反対したことにより信玄への謀反騒動にまで発展した義信の生涯を紹介します。

今川義元の娘を正室に

今川義元/Wikipediaより

義信は天文7年(1538)に生まれました。母は正室の三条の方で、信玄との婚姻には今川義元の斡旋があったと言われています。

13歳で元服し、義元の娘である嶺松院(れいしょういん)を正室に迎えました。実は嶺松院の母は信玄の姉の定恵院。このことから、今川と武田は強固な同盟関係を築いていたことがわかります。

また、天文22年(1553)には足利将軍家の通字である「義」を足利義輝から貰いました。これは今までの武田家の中で初めてのことで、この時より義信と名乗りました。

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