さいたま市岩槻区は人形の町として知られています。
同地を中心に生産されている岩槻人形は、製材時に出る桐の大鋸のくずに生の麩やにかわを混ぜ合わせたものが材料に使われています。それらを泥状にして、型にはめて固め、型から抜いた後に彩色を施します。「桐塑頭(とうそがしら)」と呼ばれる特別な製法は、幕末には岩槻藩の専売品に指定されるほど重要な産業となりました。
このような由来を持つ岩槻の人形づくりは、実と日光東照宮の造営と深い関係があります。
埼玉県岩槻市は、かつては城下町でした。その歴史は古く、1590(天正18年)、高力清長によって「岩槻藩」として開かれたのが始まりです。高力氏は、徳川家の譜代にあたる家柄で、三河から徳川家康に従って、関東入りしました。その後も、藩主は何度か交代しています。
もともと岩槻城が、太田道灌によって造られたのは、1457(長禄元)年のこと。江戸城北方の守りの城として築かれたのが、岩槻城でした。現在、城跡は、公園として整備されており、誰もが自由に散策することが出来ます。公園の敷地内には、岩槻城城門が保存されています。
岩槻城城門:門扉の両側に小部屋を付属させた長屋門形式となっている。
岩槻城のすぐ西側を「日光御成街道」(にっこうおなりみち)が通っています。