松永久秀=悪人説の根拠
戦国時代の武将にもさまざまな人物がいますが、「悪人」を一人挙げろと言われたら、多くの人が松永久秀(まつなが ひさひで)を思い出すのではないでしょうか。
現在は単純な「松永久秀=悪人」説は誤りとされていますが、彼は長らく日本史上屈指の悪人の一人とされてきました。その理由のひとつが、織田信長が徳川家康に久秀を紹介した際「こいつが東大寺の大仏を焼いた」と話したことです。
ただ、戦乱のさ中に久秀が東大寺の大仏を焼いてしまったというこの逸話も、証拠は残っておらず研究者の間でも結論が定まっていません。今回は、この問題について探ってみましょう。
東大寺を舞台にした戦闘松永久秀によって東大寺の大仏が焼かれたと伝えられている事件は、1567年に起きた東大寺大仏殿の戦い、あるいは多門山城の戦いと呼ばれている戦闘の最中に起きました。
この年の4月から10月にかけての半年間、松永久秀・三好義継と三好三人衆・筒井順慶・池田勝正が市街戦を繰り広げたのです。