徳川家光の「女装癖」?
そういえば徳川家光のことをインターネットで調べてみると、「男色で女装癖があった」というのがよく出てきます。
家光の男色については事実のようですし、当時それは珍しいことではないので特筆するほどでもないのですが、「女装癖があった」というのは何をエビデンスとする話なのか、よく分からないことが多いです。
徳川家光が女装をしていたとうエピソードが全くないわけではありません。
ただ、それは当時の流行に乗っかったファッションをしていただけの話です。しかもそのエピソードは、若き日の家光が感情に任せて教育係をクビにしてしまったという、別の話の中のひとコマに過ぎません。
具体的にはどういうことなのか、解説します。
三人の教育係徳川家康と、その息子であり徳川幕府の二代目将軍である秀忠は、「後継ぎがしっかりしていないと徳川家も滅びる」と考えました。彼らの念頭にあったのは、言うまでもなく豊臣家のことです。
そこで彼らは、家光に幼少期から英才教育を施すことに決め、まだ若干12歳だった家光に、三人の教育係をつけました。