織田信長に追放される足利義昭の悪あがき「槇島城の合戦」とは【どうする家康 外伝】

| Japaaan
織田信長に追放される足利義昭の悪あがき「槇島城の合戦」とは【どうする家康 外伝】

元亀4年(1573年)7月18日。槇島城(京都府宇治市)に立て籠もっていた足利義昭が、奮戦のすえ織田信長に降伏しました。

ここに足利尊氏いらい二百数十年にわたって存続した室町幕府は滅亡の時を迎えます(異説あり)。

室町幕府にとって最後の戦いであった槇島城の籠城戦。果たしてどんな激闘が繰り広げられたのでしょうか。今回は『信長公記』を中心に調べていきたいと思います。

7月3日~7日、まずは軽く前哨戦

足利義昭像(画像:Wikipedia)

七月三日 公方様又御敵之御色を立られ御構尓ハ(には) 日野殿 藤宰相殿 伊勢守殿 三淵大和守 被置(おかれ)真木島尓至て御座を被移候之由(うつされそうろうのよし)注進在之則

※『信長公記』巻之六(七)「公方様真木島に至て御退座の事」

【意訳】7月3日、公方様(足利義昭)がまたしても挙兵されたという。去年に引き続き、まったく懲りないことである。

京都の二条御所を日野輝資(てるすけ)・藤宰相(とうのさいしょう)・伊勢貞興(さだおき)・三淵藤英(みつぶち ふじひで)らに守らせ、自身は槇島城へ立て籠もったとのこと。

ピックアップ PR 
ランキング
総合
カルチャー