二代将軍・徳川秀忠には息子が二人、どちらが将軍に相応しいか家康が課した試験とは?【どうする家康 外伝】

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二代将軍・徳川秀忠には息子が二人、どちらが将軍に相応しいか家康が課した試験とは?【どうする家康 外伝】

人質の境遇から天下人にまで上り詰めた「我らが神の君」こと徳川家康。

武家の棟梁たる征夷大将軍の地位を嫡男の秀忠に受け継ぎ、徳川の世を磐石なものとしつつありました。

そんな二代目・秀忠には竹千代と国松という二人の息子がいましたが、秀忠と母の江姫は、どうやら弟の国松がお気に入り。徳川の跡目を譲りたいようです。

兄を差し置いて跡目を継がせて本当によいものか、家康は二人を試すこととしたのでした。

「その場に座れ」竹千代と国松の反応は

徳川家康(画像:Wikipedia)

それはある雨の日のこと。

「おぉ、竹千代に国松。よう参ったな」

「「はい、お爺様!」」

「うむ。二人とも良い子じゃのぅ」

家康は目に入れても痛くない孫たちを迎えてご機嫌です。

「で、さっそくなんじゃが、二人とも庭に出よ」

家康の言葉に、周囲の者たちは驚きました。

「大御所様、表は雨降りにございますれば……」

「せめて草履や傘をお持ちいたしますゆえ、しばしお待ちを……」

しかし家康は有無を言わせません。

「よいから、今すぐ出よ」

「はい!」

裸足のまま、元気よく庭に飛び出したのは竹千代でした。国松は、モジモジしてその場に留まったままです。

「あの、父上?」

「義父上は国松を雨ざらしにしようと仰せでしょうか?それはあまりに気の毒というもの……」

秀忠と江姫の戸惑いに構わず、家康は命じます。

「わしが『出よ』と言うたら出よ。

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