かつて日本で、「山登り」といえば、山岳信仰・修行などの宗教的な理由や、狩りなどをして生計を立てるため、いわば生きる上で必要なものでした。
一方、近代になると、「山登り」にレジャーやスポーツの価値を見出し、一般的の人々に、登山の楽しさ・素晴らしさを普及した人がいました。そのうちの一人が、今回紹介する高頭仁兵衛(たかとうにへい)です。
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高頭仁兵衛は、1877(明治十)年、新潟県長岡市深沢町(三島郡深沢村五十九番戸)の豪農の家に生まれました。幼名を「式太郎(しょくたろう)」といいます。江戸時代から高頭家の当主は、代々「仁兵衛」と名乗っていました。
元々は、学究肌の家系で、当時新潟県内で貴族院議員の互選資格を持つ15人中の1人であった祖父から、幼少時から儒学や仏教といった学問を学び、多芸多種であった祖母からは、茶道や礼法・漢文・漢詩・俳句・和歌・謡曲を習得しました。