長保3年(1001年)4月25日、紫式部の夫である藤原宣孝が病のために卒去しました。
病については諸説あり、当時の流行り病いであろうと考えられています。
そんな中、藤原行成の日記『権記(ごんき)』に意外な記録が残されていました。
果たして宣孝の生命を奪った病とは、いったい何だったのでしょうか。
宣孝の死因はまさかの痔(ぢ)!?冷泉為恭「冷泉為恭筆藤原行成像」……痔の申告を受けて、どんな反応をしたのだろうか。
……右衛門権佐宣孝朝臣又申痔病発動之由……
※『権記』長保3年(1001年)2月5日条
【意訳】右衛門権佐である藤原宣孝朝臣が病を申し出てきた。どうやら痔(ぢ)が再発したらしい。
右衛門(うゑもん)とは、内裏の門を守る左右衛門府の一つ。権佐(ごんのすけ)とは定数外(権)の副官(佐)です。
朝臣(あそん)とは朝廷に仕える臣を指し、一般的には位階と官職を受けている者が該当します。