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【光る君へ】大和源氏の祖は”殺人の上手”!?藤原道長に仕えた平安時代の武将・源頼親の生涯:その1頼親が出世する上で欠かせないのが、藤原道長(ふじわらのみちなが)でした。頼親は、武士としての能力だけでなく、道長との関係を武器に、国司としての地位を確立していきます。
しかし、その道のりは平坦ではなく、道長との関係が変化していく中で、頼親の運命もまた大きく変わっていくのです。
道長との信頼関係の構築頼親が自身の立身出世のために拠り所としたのが、藤原道長との関係でした。
藤原道長は、平安時代中期の日本を代表する権力者です。歌では「この世をば我が世とぞ思ふ」と詠んだことでも有名ですね。
道長の父・兼家の代には、頼親の父・満仲との関係がありました。双方の家の間には、代を重ねるほどの主従関係が構築されていたようです。
兼家の死後、道長は左大臣にまで昇進。早生した兄たちの家を押し除けて、自身が朝廷を主導する立場となっていました。
この頃の頼親は、道長の名声を頼りに道長の庇護の下で成り上がっていきます。頼親の国司歴任においても、道長の尽力があったと推測するのは当然でしょう。
やがて頼親は、大和国の国司である大和守を拝命。枢要な国を任されることは、頼親が道長の信任を得ていたことの証左といえます。