博識だったことで日本一の大学生(だいがくしょう)と称された藤原頼長は律令に重きをおき、綱紀粛正のためには手段を選ばない諦めの悪い性格から悪左府の異名も持っていました。
しかし、一見堅物とも見て取れる頼長が男色を好んでいたことはご存知だったでしょうか。
今回は男色における頼長を赤裸々に紹介したいと思います。
頼長は生涯で藤原忠雅や藤原為通(ふじわらの-ためみち)といった数多くの男性と関係を結びました。また相手は全員貴族なので、貴族の間でも男色が一種の文化として根付いていたと思われます。
その中で頼長の一番のお気に入りは藤原隆季(ふじわらの-たかすえ)でした。