狂人?人格破綻?度重なる狂気的乱行の末に自刃した徳川2代将軍・秀忠の息子「徳川忠長」の生涯【後編】

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狂人?人格破綻?度重なる狂気的乱行の末に自刃した徳川2代将軍・秀忠の息子「徳川忠長」の生涯【後編】

神君家康の孫、徳川2代将軍秀忠の息子として一時は将軍後継の最有力とまで目されたものの、わずか28年の生涯を自刃という形で終えた「徳川忠長」。一流の血統の元に生まれながら、その人生は順風満帆とはいかなかったように見える。

今回は【前編】に続き「駿河大納言・徳川忠長」の生涯をご紹介する。

前回の記事

狂人?人格破綻?度重なる狂気的乱行の末に自刃した徳川2代将軍・秀忠の息子「徳川忠長」の生涯【前編】

品行の悪化から自刃まで

徳川忠長像(Wikipediaより)

1630年、忠長は領地内にある浅間神社付近の賤機山で猿狩りを決行する。

浅間神社は祖父である徳川家康が14歳の時に元服した神聖な土地であり自重すべき行動であったが、忠長は害獣駆除の名目で多くの猿を殺したとされている。

さらに、真意は定かでないが帰途の際に乗っていた駕籠の担ぎ手を殺害している。

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