天下の徳川家にあって将軍家に次ぐ家格を有する御三家。その筆頭である尾張徳川家は、名家でありながら自家からの将軍輩出は叶わなかった。
↓【前編】の記事
江戸時代「将軍」を一度も輩出できず辛酸を舐め続けたエリート一族「尾張徳川家」の運命【前編】今回は【前編】に引き続き、尾張徳川家の歴史をご紹介する。
宗春(尾張徳川家)と吉宗(紀州徳川家)8代目徳川将軍の座についた紀州徳川家出身の吉宗。吉宗の将軍就任以降、紀州徳川家は栄華を極め、14代目の家茂まで7代を通して紀州家の血脈が将軍職を独占した。
この吉宗の将軍就任が尾張家と紀州家の運命を大きく変えてゆくことになる。
1730年、尾張徳川家では8代将軍吉宗と将軍職を争った6代藩主の継友が没し、弟の「徳川宗春」が7代目として尾張徳川家の藩主となる。