織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築かなかった理由【前編】

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織田信長が戦国きっての”引っ越し魔”だったのは何故?安土に城を築き、京に築かなかった理由【前編】

信長の居城に関する三つの疑問

織田信長の居城について調べていくと、いくつかの疑問が湧いてきます。

①彼はなぜ城から城へと頻繁に引っ越して居城を変えたのか。
②あまり栄えていない安土に城を構えたのはなぜか。
③どうして京に城を構えなかったのか。

今回は、この三つの疑問を前編・後編に分けて解いてみたいと思います。

織田信長(Wikipediaより)

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織田家のもともとの領地は尾張の東部であり、信長が最初に居城としたのは那古野城でした。信長の父・信秀が今川氏豊から奪い取った城で、現在の名古屋城の二の丸あたりにあったといわれています。

信長は1534年にここで生まれています(尾張勝幡城で生まれたとする説もあります)。

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