武芸に優れ和歌や茶道の才能も!戦国時代のキリシタン大名・蒲生氏郷(がもううじさと)の生涯

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武芸に優れ和歌や茶道の才能も!戦国時代のキリシタン大名・蒲生氏郷(がもううじさと)の生涯

日本史、特に戦国時代にはさまざまな武将、大名などが活躍しました。大河ドラマをはじめ、さまざまなドラマや映画で描かれる戦国時代ですが、誰もが知るような有名人以外にも、実力者・優秀な者はたくさんいました。

そこで今回の記事では、そんな戦国時代から安土桃山時代にかけて活躍した、蒲生氏郷(がもううじさと)にフォーカスをあて、紹介したいと思います。

蒲生氏郷 肖像(Wikipediaより)

織田信長や豊臣秀吉といった有名人とも深いかかわりがあり、最終的に会津藩の基盤を築いた蒲生氏郷の生涯に迫ってみましょう。

蒲生氏郷(がもううじさと)の幼少期

蒲生氏郷(がもううじさと)は、1556年(弘治2年)、近江国(現在の滋賀県)で蒲生賢秀(がもうかたひで)の三男として生まれました。父・蒲生賢秀は、「日野城(中野城)」の城主でした。

蒲生賢秀は、織田信長と敵対していた「六角氏(ろっかくし)」の重臣でしたが、永禄11年(1568年)に起きた観音寺城の戦いで六角氏が負けると、織田信長に仕えることになりました。

このとき、蒲生氏郷は13歳でしたが、信長に人質として差し出されています。

織田信長の死後、羽柴秀吉に仕える

信長の部下として、蒲生氏郷は大きく活躍します。伊勢大河内城の戦に初参戦し、大きな手柄を立てました。また、信長の娘の冬姫と結婚しました。

1582年、本能寺の変で信長が自刃した後は、安土城にいた信長の一族を蒲生家の居城・日野城にかくまいました。そして、この後は秀吉に従うようになりました。

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