「江戸は寒村」はウソだった!?豊臣秀吉と徳川家康の”国替え”に隠された壮大な戦略とは?【後編】

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「江戸は寒村」はウソだった!?豊臣秀吉と徳川家康の”国替え”に隠された壮大な戦略とは?【後編】

秀吉による国替え

【前編】では、徳川家康による統治が始まる前の江戸の町は「寒村」だったというこれまでの見方が俗説に過ぎないことを解説しました。

「江戸は寒村だった」は作られたイメージ!実は徳川家康の江戸入り前から交通・交易の要所だった【前編】

では、それを踏まえて豊臣秀吉から家康への「国替え」はどのような意図で行われたのでしょうか。【後編】ではそれを見ていきましょう。

徳川家康(Wikipediaより)

徳川家康の江戸入りの経緯については、以下のエピソードが有名です。すなわち、豊臣秀吉が北条氏を滅亡させた小田原征伐の最中、小田原城を眼下にしながら家康に「関八州を与える」と言った――。

もっと具体的には、この時秀吉は「奥州に向かわなくてはならないので、小田原城より東方にある江戸を本城とするのが良い」と家康に話したとされます。

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