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徳川家康の”影の右腕”「平岩親吉」忠義と悲哀に満ちたその苦悩の生涯をたどる【前編】1582年、本能寺の変が起こると、親吉はただちに甲府へと派遣されます。当時、甲斐国では武田氏が滅亡したばかりで、政情は非常に不安定でした。
親吉はその混乱の中で甲府城の築城を命じられ、武田の旧臣たちを取りまとめ、新たな秩序を築いていきました。戦場ではなく、人と土地を安定させる――そうした役目も、家康の信頼があってこそ託されたのでしょう。
関東移封と、仙千代との出会いその後、1590年の小田原征伐を経て、家康が関東に移されると、親吉は上野国厩橋(うまやばし)に三万三千石の領地を与えられます。このとき、家康は八男・仙千代(せんちよ)を親吉に託します。親吉には実子がいなかったため、仙千代を養子として育ててほしいと願ったのです。
信頼の証といえるこの託し――けれど、その未来は、あまりにも儚いものでした。