「武田信玄」は誰でも知ってる。
でも、そもそも「“武田”って、いつ・どこで・誰が名乗りはじめたのか」は、意外と知られていません。
「武田」の名の原点に関わり、のちに武田氏だけでなく、南部氏や小笠原氏など名だたる武士たちの系譜にもつながっていく“起点”とされる人物(系譜には諸説あり)が、今日の主役の武田冠者・源義清(みなもとの よしきよ)です。
義清は、平安時代後期に生きた武士で、細かい生年は史料でははっきりしませんが、新羅三郎として知られる源義光の子として生まれました。
武士のはじまりは誰か?のちの武家社会の基盤を作った武将「新羅三郎・源義光」を挙げるべき理由武勇も統率力も一流とされた義光の子として、義清は幼名を音光丸といい、「武田冠者(たけだのかじゃ)」などの名で呼ばれます。彼が関わった常陸国那珂郡の「武田郷」が、「武田」という名字の原点の一つとされます。
「武田信玄のはじまりをぐーっとさかのぼると、ここに行き着くんだ」と思うと、ちょっとわくわくしますね。
実はちょっと波乱の人生義清と嫡男・清光が起こしたのが、いわば領地をめぐるトラブル。 「ここウチの領地!」「いやいや、こっちのだよ!」という境界や支配権の争いが、大掾氏との深刻な対立へと発展してしまいます。
この争いで義清側が不利となり、勅勘(ちょっときつめのお叱り)を受けて、常陸国から甲斐国・市河荘(いちかわのしょう)へ配流されることになります。いきなりの地方移住。 でも、ここから義清の本当の物語が始まるのです。