武田信玄の「武田」はどこから始まった?名字のルーツとなる人物──武田冠者・源義清の逆転劇 (2/3ページ)

Japaaan

「アウェイ」を「本拠地」に変えていく強さ

甲斐にやって来た義清は、市河荘(現在の山梨県市川三郷町から昭和町周辺と考えられる地域)に館を構え、土着していきます。​さらに、父子の代に八ヶ岳南麓の逸見(へんみ)荘にも勢力を広げ、若神子(わかみこ)を拠点としたと伝えられ、若神子城を築いたという伝承も残ります。​

結果として、義清の一族は甲府盆地一帯に広がり、やがて強大な武田氏をはじめ、南部氏・小笠原氏など多くの名家へとつながる“源流”となっていきます(系譜には地域ごとに伝承差もあります)。

​義清は、「飛ばされた先をチャンスに変えた人」と言ってよいでしょう。​

義清、甲斐で静かに晩年を迎える

義清は、12世紀半ばごろに甲斐で亡くなったとされ、没年は久安元年(1145年)とする説が有力です。​

晩年の居館跡と伝わる場所には、今も義清神社があり、近くには義清の墳墓とされる塚や、ゆかりの石碑・歌碑が残されています。

いとどしく 埴生の小屋の いぶせきに 千鳥鳴くなり

市河の里 流された先で、質素な住まいに身を寄せながら聞いた千鳥の声。 そこに義清の孤独や覚悟が、しんと漂ってくるようです。​

義清は“逆境を力に変えた”源氏のキーマン

ざっくり言えば、義清の人生は、

名門の家に生まれる 領地争いというトラブル発生 まさかの配流で地方移住 しかしそこで勢力基盤づくりに成功 武田氏など多くの名家につながる土台を作る

という流れでたどれます。​武田信玄に比べれば影は薄いかもしれませんが、甲斐源氏と武田氏の歴史を大きく動かした“はじまりの人”であることは間違いありません。

​「逆境に置かれても、そこから大きく伸びていける」──義清の生き方は、そんなメッセージをそっと伝えてくれているようです。

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