江戸中期の名医・杉田玄白といえば、『解体新書』の翻訳に関わった人物として有名です。彼の人生でいちばん“厄介”だったのは、病でも仕事でもなく――長生きそのものだったのかもしれません。
玄白は当時としては破格の八十五歳まで生きました。しかし晩年の記録を読むと、その長寿は「めでたい話」で片づけられない苦労に満ちています。
今回は杉田玄白の意外なエピソードを紹介します。
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オランダ語が苦手…。杉田玄白は「解体新書」翻訳作業の中心ではなかった?江戸時代の平均寿命は、二十一歳を超えた人であれば六十歳前後だったとされています。つまり、玄白の八十五歳という寿命は、当時としてはきわめて長命でした。
ところが玄白自身は、この長寿を素直に喜んでいません。死の前年、八十四歳で書いた『耄碌独語』には、「無病なり、達者なりと羨まるるは、この苦しみを知らざる人の外目より視し所なり」と記されています。