豊臣秀吉の出世といえば、草履取りからの成り上がりという物語が定番です。世間一般的な理解では、秀吉は才覚と努力で信長に認められ、武功を重ねて出世したという流れですね。
しかし実際には、秀吉の出世を支えた要素はそんな単純な事柄ばかりではないことが分かります。
その中のひとつとして挙げられるのが水運ネットワークで、木曽川流域に勢力を持つ川並衆との関係は見逃せません。
川並衆は木曽川の水運を担う土豪層で、尾張と美濃を結ぶ物流の要でした。彼らは水運だけでなく、土木技術にも通じ、地域の武士や商人と幅広い関係を持つ存在でした。
この川並衆と秀吉の間にはどのような関係があったのでしょうか。そして、彼の出世にどのように関係していたのでしょう。本稿ではこれを紐解いていきます。
放浪時代の接触秀吉が川並衆と接点を持った背景には、放浪時代の経験があります。
『太閤素生記』によれば、秀吉は松下家を出奔した後、濃尾国境付近でさまざまな土豪と関わりを持ったとされます。
川並衆もその一つで、蜂須賀正勝(蜂須賀小六)らが代表格でした。『武功夜話』では、秀吉と川並衆が商人・生駒蔵人の屋敷で知り合い、意気投合したと描かれています。