砂糖はどうやって日常の調味料に?明治の開国危機から渋沢栄一の挑戦、黒砂糖との違いまで【後編】

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砂糖はどうやって日常の調味料に?明治の開国危機から渋沢栄一の挑戦、黒砂糖との違いまで【後編】

前編では、日本に砂糖が伝わった奈良時代から、南蛮貿易による菓子文化との出会い、琉球や奄美での黒砂糖の生産、そして江戸時代の国産化の動きまでをたどってきました。

【前編】の記事はこちら。

砂糖はいつから日本にある?伝来の歴史から南蛮菓子、長崎シュガーロードと江戸の国産化まで【前編】

海外から運ばれてくる貴重な品だった砂糖は、長い時間をかけて日本各地に広がり、地域ごとの菓子文化が育っていったことがわかります。

では、明治時代以降、砂糖はどのように変化していったのでしょうか。近代的な製糖業の発展や海外との貿易、戦後の食生活の変化を通じて、砂糖が私たちの日常に欠かせない存在になっていく過程を引き続き見ていきましょう。

近代産業のうねりと、日常に溶け込んだ甘さ

時代が明治へと移り変わると、開国によって海外の安価な砂糖が一気に流れ込み、国内で昔ながらの製法を守ってきた砂糖農家や職人たちは厳しい競争にさらされることになります。

そこで今度は、「外国に頼りきりになるのを防ぎ、近代的な砂糖産業を自分たちで立ち上げよう」という動きが本格化していきました。1895年には渋沢栄一らも関わって日本精糖が設立され、機械を取り入れた大規模な工場生産がスタートします。

さらに日清戦争を経て、日本の統治下に置かれた台湾で大規模な近代製糖業が整備され、日本国内へ砂糖を送り出す一大拠点となっていきました。

こうして砂糖は、農家や職人が手仕事でこつこつ作る時代から、近代的な工場設備と資本、そして全国を結ぶ巨大な流通網によって届けられる工業製品へと姿を変えていきました。

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