蝶野が語る新日本「02年は一番会社が動いてなかった、いまの状況を考えると隔世の感がある」 (2/4ページ)
――「このリングの上に神がいる」と呼び込んではじまった"猪木問答"ですね。
蝶野 あらかじめ「呼び出しますから」って伝えておいたんだよ。総合格闘技の流れで新日本が揺れてたのもたしかだったし、猪木さんから「プロレスをやる」という言葉を引き出したかった。ところが、いざとなったら猪木さんが若手をリングに呼んで、中西に「オメエは怒ってるか!?」ってやり出した。鈴木健三(現・KENSO)は「明るい未来が見えません!」なんて妙なこと言ってるし。「あっ、これは猪木さん時間稼ぎしてるな」と思ったんだけど、最後には突然「おまえはこれからただのレスラーじゃねぇぞ」と現場監督に指名されて、内心「エーッ!?」って感じでしたよ。
永島 俺は前の年( 01年)かな、猪木から「外に出て勉強してこいよ」と言われて、そこから実質的には会社に行かなくなって。猪木からは「猪木事務所、くればいいじゃねえか」って言われたけど、あれこそ悪の巣窟だからね。蝶野のことは外から見ながら「大変だなぁ、もうどうしようもないけど、まとめられるのも蝶野だけだなぁ」って思ってはいたね。
蝶野 02年の2月から3月は、もう、社内のみんながクーデターを考えてたような状況。後楽園ホール大会とか終わって新日本の事務所に行くと、23~24時でも電気がついてる。みんながなんらかの整理をしてる。たぶん悪事の隠蔽工作をしてたんでしょう。一番会社が動いてなかった時期。いまの新日本から考えると、隔世の感があるね。
新日本は05年11月にユークスに身売りし、混迷状態にひとつの終止符を打った。同年7月には、橋本真也が40歳の若さで永眠。彼もまた、新日本という荒波に翻弄された一人だった。
蝶野 橋本選手とは、亡くなる1カ月くらい前に会ってます。前の年の11月にZERO─ONEを追い出されたわけだけど、その相談も受けてた。「大谷(晋二郎)と(中村)祥之は絶対に許せない。アイツらの命を取るまで、俺はリングに戻れない」っていうようなことを言ってたから、「橋本、やめろ。会社を取った、取らないじゃなく、リング上の橋本真也を重視したほうがいい」と。