誰も知らなかった戦争体験『ピー屋』
戦後70年。
戦争の記憶は風化していき、戦争体験者の方も亡くなっていきます。
戦争の記憶を次世代につないでいくために、「誰も知らなかった戦争体験」をシリーズでご紹介させていただきます。
それぞれの体験、それぞれの記憶・・・。
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ピー屋(慰安婦のいる慰安所)へ行くときには、必ずゴム製のサック(衛星具)の配布があった。朝の訓令の後に持たされる。
淋病梅毒による戦力低下を嫌った軍部の方針で、ピー屋は兵站所(補給所)に設置された。
兵站所は最前線の後ろに設置されるから物資はまだ豊富にある。とは言え食料や弾薬はギリギリなのに、サックはいくぶん余裕があったようだ。
ピー屋ではシナピー(中国人)<チョンピー(朝鮮人)<日本人ピーの順で高くなり、人気がある。
1人10分程度でも行列が何十人とでき、日が暮れても自分の番まで回ってこない。
サックの銘柄で一番人気は「突撃一番」。前線で果てるまでに、ピー屋で果てるのである。
ピー屋へ行けという指示が出ると「ああ、俺たちは、これから激戦の最前線へ放り込まれるのだな」という空気が兵士たちの間に漂った。
事実、戦線拡大中は、ピー屋も兵士と一緒に前線へ移動した。ニューギニアの先では乗せた船が米潜水艦に沈められたという。戦争中だから戻るも先へ行くにも同じ危険がある。兵士もピーも前へ進むしかなかった。
※2014年9月、千葉県在住の男性(当時89歳)から聴いた話。
(文:木之下秀彦)