「俺一人で日本のノワール小説を背負ってるんだ、くらいの覚悟で書いていた」――馳星周インタビュー(3) (2/3ページ)
昔、新宿のゴールデン街の「深夜プラス1」っていう、内藤陳さん(コメディアン・書評家)が経営していたバーで働いていたことがあって、そこに大沢在昌さんがよく来ていたんですけど、当時の大沢さんは全然売れていなくて、話を聞いているうちに「これはやってはいけないな」と(笑)。とにかくお金にならなくて、毎月本を出すくらいじゃないと食べていけないんです。当時そこに集まったお客さんで売れていたのは北方謙三さんくらいだったから、酔っ払ってはみんなで「北方なんてつまらない作家ばかり売れやがって!」とか愚痴るわけですよ。小説家になるとこういう人になるのかと思ったりね(笑)。
そんなことがあって小説家にはなっちゃいけないなと思っていたんですけど、その後ライターをやっているうちに、だんだん自分の「末路」が見えてきてしまったんですよね。
たとえば、40歳過ぎたあたりから一緒に仕事をしていた出版社の社員が出世していって、新しく若い奴が担当になると、口うるさいからといって年の行ったライターはだんだん使われなくなっていく。そういう未来図が見えていた。
そんな時に、一番稼がせてもらっていた雑誌が廃刊になってしまったんです。当時30歳手前になっていて、また一から営業活動して仕事をもらってくるのもしんどいし、このままライターを続けていても先が見えているという状況でした。それなら、モノになるかはわからないけど、物を書く仕事で一番自分が納得できる「小説」で勝負してみようと思って「不夜城」を書き始めたんです。
――子どもの頃から本はたくさん読まれていたんですか?
馳:そうですね。本当に幼い時は絵本だったんですけど、小学生の時に星新一さんのショートショートにはまって、そこから筒井康隆さんだとか小松左京さん、平井和正さん、田中光二さんのようなSF小説を読むようになりました。
平井さんや田中さんが本のあとがきで「レイモンド・チャンドラーがおもしろい」とか「アリステア・マクリーンがおもしろい」というようなことを書いていたからそれを読んでみて、ハードボイルドや冒険小説に入っていくという流れですかね。
――そういった読書の蓄積がデビュー作であり大ベストセラーになった『不夜城』に結実した。
馳:そう思います。