コネチカット州から考える「アメリカの銃社会」銃規制ができない理由 (2/3ページ)
これはいわばレンコンのような形の回転式弾倉と、それに連動する撃鉄で構成された銃だが、このリボルバー銃を発明したのは他でもないコルトなのだ。それ以前の拳銃はペッパーボックス式と呼ばれる、弾倉ではなく銃身がレンコン型のものが主流だった。
この銃は安価で構造が単純だが、銃身1本分の火薬から出た火花が他の銃身をも誘爆させてしまう『チェーンファイア』がしばしば起こった。ちなみに、当時はまだ火薬と弾丸が一体化されていない時代だ。
コルトのリボルバー銃は、一度は低価格のペッパーボックス銃に押されて苦戦するものの、結果的にその連射性能が認められて銃市場に定着する。そのきっかけになったのは、テキサスレンジャーズによるネイティブアメリカン討伐戦だ。コルト・リボルバーを装備した少数のレンジャーが、大人数のコマンチ族を駆逐したということが巷に知れ渡るようになると、荒野の男どもはこぞってコルトを扱う販売店に列をなすようになった。
さらにテキサスレンジャーズからも、追加の注文が続々と入る。コルトは時代の波に乗るように新工場を設立した。彼の故郷、ハートフォードに。これはコネチカット州に、巨額の税収とまとまった数の雇用を与えた。
そしてコルトは、発明家としてだけではなく経営者としても未来を見据えていた人物だった。
■ 福利厚生に力を入れる
19世紀後半から20世紀初頭にかけてのアメリカ経済界は、労働者の福利厚生に資金を投じた経営者を多く輩出した。末端の工場作業員に対して高賃金を約束したヘンリー・フォード、あたかもグリム童話のような“お菓子の町”をプアホワイトのために作ったミルトン・ハーシー、そして工場の敷地内にサロンやホールを設けたサミュエル・コルト。
労働者の権利が全くと言っていいほど保証されていなかった当時、就労時間を規定して「これ以上は何が何でも働かせるな」と工場監督者に命令したという事実は、アメリカ工業史にとって見逃せない点だ。過酷な長時間労働で疲労し、それが原因の事故で手足を失うということはよくあった。昔のメジャーリーグの興行には、スタジアムの一番安い席にそういう不幸な労働者が必ず1人はいた。