死者と会話をする。海外版イタコの住む町、米ニューヨーク・リリーデール

カラパイア

死者と会話をする。海外版イタコの住む町、米ニューヨーク・リリーデール
死者と会話をする。海外版イタコの住む町、米ニューヨーク・リリーデール


 ニューヨーク州北部のカサデガ湖東、鬱蒼とした道路に沿ったリリーデールの町には、ビクトリア朝の家々が並ぶ。ここには、死者と交信できると信じられている霊媒師が数多く住んでいる。日本でいうところのイタコ的な存在である。

 バッファローの南約1時間のところにあるリリーデールは、19世紀からある心霊主義の聖地で、降霊術を行う霊能者たちが入植してきてできた。今日でもなお、信者を惹きつけている。

0_e7

 リリーデールの歴史は1848年にさかのぼる。ふたりの十代の姉妹、マーガレットとキャサリン・フォックスが、自分たちの住んでいるハイデスヴィル村の農家の壁や家具から謎めいた大きなラップ音が聞こえると言い出した。

 ふたりは音の原因は、殺された行商人チャールズ・B・ローザの霊の仕業だとし、彼はその農家の地下に埋められていると言った。ふたりの両親は、精神科医送りにする代わりに、姉妹をロチェスターに住む長姉のところへやった。ふたりはそこで行われた降霊会で霊と交信してラップ音を披露し、それが地元の奴隷解放論者や活動家、不満を抱えたクエーカー教徒たちの間で人気となった。

3_e5

 姉妹はさまざまな場所でラップ音を披露するようになり、チャールズ以外にも死者の霊を呼び寄せるようになった。ラップ音を通してフォックス姉妹に接触してきたとする死者たちは、ありふれた言葉からあちらの世界の奥深い説明まで、さまざまなメッセージを伝えることができたらしい。最初は、質問に対してイエスかノーだけの答えだったのが、ラップ音を屈指してアルファベットを組み合わせて言葉を作り、会話できるようになったという。

 ロチェスターでのこうしたデモンストレーションのおかげで、その評判はニューヨークにも広がり、ふたりは有名になった。特にニューヨークヘラルドトリビューン紙のホレス・グリーリーは、フォックス姉妹を通して、死んだ5歳の息子からのメッセージを妻のモリーが受け取ったことに感激したと公言していた。

00_e0

 姉妹は自分たちが有名になっただけでなく、死者と交流するというビクトリア時代の娯楽を生み出した。アメリカ中でエセ霊媒師が次々と登場し、霊との交信もラップ音から自動書記のような技術へと移行していった。

 1855年までに、心霊主義は正式な教義やひとつの教会として発展することはなかったが、100万の信者がいるというさまざまなキリスト教信仰の層を積み上げていった。誰にでも門戸が開かれ、死刑廃止論や女性の人権などのような急進的な主義とも結びついた。フォックス姉妹のように若い女性が霊媒師に多かったのは、若い女性と魔術、あるいは霊的なものと女性性や家というものを結びつける古い考え方のせいだろう。歴史家のアン・ブローデは、全国のアメリカ人が、思春期の娘を通して霊からのメッセージを受け取るともっともらしくなることに注目している。

4_e4

 ビクトリア朝の社会は、女性に力のある役割はほとんど与えなかったが、降霊会は女性たちにとって、ある意味受け入れられない意見を声にする方法のひとつとして流行ったのだ。

 正式名リリーデール集会として知られるリリーデールは、1879年にカサデガ湖自由連合として設立された。現在のリリーデールという名前は、カサデガ湖畔にユリが咲いていたことから1906年につけられた。集落は、降霊術師ウィラード・オールデンの農場で開かれた地元の会合やピクニックを発端に、降霊術師たちのサマーキャンプとしてスタートした。年に一回、降霊術師たちが集まって一日だけ会合を開いていたが、それがもっと長い期間に拡大された。

7_e2

 年月とともに、ビリヤード室やボーリング場、公会堂、聖堂などが増えていった。現代のリリーデールのランドマークは、霊媒師たちが口寄せを行う森インスピレーション・ストンプ、心霊術の記念品などを集めた博物館、心霊術の文献を大量に所蔵する図書館、動物墓地などだ。

1_e5

 しかし、もっとも有名な建物は、フォックス姉妹が最初にラップ音を聞いた農家だろう。この農家は20世紀始めにリリーデールに移築されたが、残念ながら1955年に焼失してしまった。

 リリーデールはいまだに盛況だ。一年を通じて数百人の永住者がいて、そのほとんどが霊媒師や神霊治療者で降霊を公開している。毎年、およそ2万2000人が講習やワークショプ、講義、礼拝、ヒーリングなどでここを訪れる。年間を通してオープンしているが、6月から9月までのハイシーズンは特に混み合う。

8_e2

 しかし、フォックス姉妹のその後は、順調とはいかなかったようだ。数年は、霊との交信のデモンストレーションのために世界中をまわったが、彼女たちの生活は安定せず、徐々にアルコール中毒に悩まされるようになった。1888年の低迷期、ある記者がふたりに1500ドルで降霊をオファーした。1888年10月21日、マーガレットがニューヨークの音楽アカデミーに姿を見せ、爪先の関節を鳴らしてラップ音をたてるやり方を聴衆の前で披露した。翌年、マーガレットは自分の告白を撤回したが、相当なダメージとなった。

 その後数年のうちに、ふたりは相次いで亡くなり、ブルックリンのサイプレスヒルズ墓地の困窮者の墓に葬られた。


via:mentalfloss・原文翻訳:konohazuku

「死者と会話をする。海外版イタコの住む町、米ニューヨーク・リリーデール」のページです。デイリーニュースオンラインは、海外などの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る